『愛と利と』最終回考察|なぜスヨンは逃げた?坂道の意味と原作との違いから紐解く「忘却」という救い

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執筆者:結城 凛(ゆうき りん)
ドラマ心理分析家 / 韓流コラムニスト。心理カウンセラーの資格を持ち、韓国ドラマの社会学的背景と登場人物の愛着スタイルを専門に分析。大手メディアでの連載を通じ、視聴者の「心のモヤモヤ」を言語化する活動を続けている。


Netflixでドラマ『愛と利と』を最終話まで見終えた後、深い溜息とともに、やり場のない「モヤモヤ」を抱えてこの記事に辿り着いたのではないでしょうか。

特にヒロイン・アン・スヨンの、あまりにも不可解で、自分勝手に見える「逃避」の数々。ハ・サンスがあれほど誠実に手を差し伸べているのに、なぜ彼女はそれを拒み、最後には姿を消してしまったのか。

スヨンの行動にイライラし、結末の曖昧さに困惑しているあなたは、実は誰よりも「正しく愛したい」と願っている誠実な方なのだと思います。

しかし、本作が描いたのは、私たちが期待するような「正しい愛の成就」ではありませんでした。この記事では、韓国語のタイトルに隠された残酷な二重性と、原作小説にはなかった「救い」の正体を紐解きます。


1. タイトルに隠された罠:韓国語「イヘ(이해)」が示す、愛の残酷な真実

ドラマ『愛と利と』の原題は『사랑의 이해(サランエ イヘ)』。この「이해(イヘ)」という言葉には、日本語と同じく二つの意味が込められています。

  1. 理解(Understanding)
  2. 利害(Interest / Loss and Gain)

この「理解」と「利害」は、本作において表裏一体の関係として描かれています。

主人公のサンスは、常にスヨンを「理解」しようと努めます。しかし、彼の「理解」のベースには、無意識のうちに自分自身の「利害」が入り込んでいました。KCU銀行という明確な階級社会において、大卒採用としての立場や将来の安定といった「利害」のフィルターを通さずに相手を見ることは、彼にとっても至難の業だったのです。

サンスがスヨンとの約束に一瞬遅れたあの「躊躇」こそが、彼の中の「利害」が顔を出した瞬間でした。一方でスヨンは、相手が自分をどう「理解」しているかではなく、相手が自分をどう「利害」の対象として評価しているかに極めて敏感な女性でした。

私たちが本作を視聴していて苦しいのは、「純粋な愛(理解)」を求めているはずの登場人物たちが、常に自分たちの「社会的立場(利害)」という重力に引きずり戻される現実を突きつけられるからです。


2. スヨンが「逃げた」のではなく「守った」もの。回避型愛着と階級の壁

「なぜスヨンは、幸せになれるチャンスがあるのに自ら壊してしまうのか?」

そう叫びたくなる気持ちはよく分かります。しかし、スヨンの視点に立ってみると、彼女の逃避は決して「わがまま」ではなく、彼女なりの「生存戦略」であったことが見えてきます。

心理学的に見れば、スヨンは典型的な「回避型愛着スタイル」の持ち主です。幼少期からの家庭環境や、銀行内での非正規職という不安定な立場が、彼女に「他人は信頼できない」「期待すれば傷つく」という防衛本能を植え付けました。

サンスの差し出す「完璧な善意」や「正しい愛」は、スヨンにとっては救いであると同時に、自分の欠落(学歴、貧困、過去の傷)を際立たせる暴力的な光でもありました。彼と一緒にいればいるほど、自分の惨めさが浮き彫りになる。だからこそ、彼女は「愛しているからこそ、これ以上惨めにならないために逃げる」という選択をしたのです。

✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス

【結論】: スヨンへの苛立ちは、あなたの中にある「傷つきたくない」という防衛本能が彼女に共鳴している証拠です。

なぜなら、私自身も初見時はスヨンの逃避を「身勝手」だと感じていましたが、心理分析を進める中で、それが彼女の尊厳を守る唯一の手段だったと気づき、見方が180度変わったからです。スヨンの逃避を「弱さ」と切り捨てるのではなく、「自分を守るための精一杯の抵抗だった」と捉え直してみてください。


3. 原作とは違う「坂道の再会」。ドラマ版が描いた「忘却」という名の救い

最終回の舞台となったあの「坂道」。ここで二人が交わした会話は、本作が単なるバッドエンドではないことを示唆しています。ここで重要なのは、ドラマ版が原作小説の結末をあえて書き換えたという事実です。

【比較表】原作小説 vs ドラマ版:結末の決定的差異

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比較項目 原作小説(イ・ヒョクジン著) ドラマ版(チョ・ヨンミン演出)
結末のトーン 冷徹な現実主義(絶望に近い) 情緒的な余韻(希望の示唆)
二人の関係 完全に別の人生を歩む「他人」 過去を肯定する「理解者」
キーワード 階級の固定、後悔 忘却、IF(もしも)の対話
視聴感 愛の無力さを突きつけられる 痛みを抱えたまま歩き出す勇気

原作では、二人の再会はより冷淡で、埋められない溝を再確認する作業に過ぎませんでした。しかし、ドラマ版では、二人が「もしあの時、別の選択をしていたら」という「IF(もしも)」の話を延々と語り合います。

これは単なる未練ではありません。過去の「利害」に基づいた選択を、今の二人が「忘却」し、ただの人間として向き合うための儀式なのです。坂道を登りながら、かつて自分たちを縛っていた階級やプライド、損得勘定を一つずつ手放していく。あのラストシーンは、二人がようやく「利害」を超えた本当の「理解」に辿り着いた瞬間を描いているのです。

ドラマ『愛と利と』における「理解」と「利害」の昇華プロセス図。左下の「利害(損得勘定や階級)」という重荷を、坂道を登る過程での「忘却(過去の清算)」を通じて手放し、右上の「真の理解(純粋な人間関係)」へと至る論理的関係を表現しています。


4. FAQ:あの時、二人は最終的に結ばれたのか?

Q: ラストシーンの後、二人は付き合ったのでしょうか?

A: 物理的に「付き合う」という形をとったかどうかは、この物語において重要ではありません。大切なのは、二人が「お互いを愛した自分たちを、ようやく肯定できた」という事実です。

かつてのサンスはスヨンを「手に入れたい対象」として見ており、スヨンはサンスを「自分を脅かす存在」として見ていました。しかし、あの坂道での再会を経て、二人は「愛に失敗した未熟な自分たち」を丸ごと受け入れました。結ばれたかどうかという結果よりも、「打算もプライドも抱えたまま、それでも誰かを理解しようとした時間」に価値を見出したこと。それこそが、本作が提示した最高のハッピーエンドなのです。


まとめ:愛とは、相手を完全に理解することではなく、分からないまま傍にいること

ドラマ『愛と利と』という物語は、私たちに「愛の美しさ」ではなく「愛の生々しさ」を突きつけました。

愛には必ず「利害」が混じります。私たちは聖人君子ではなく、明日を生きるために損得を考え、傷つかないためにプライドを守る、ちっぽけな人間だからです。スヨンが逃げたのも、サンスが躊躇したのも、あなたが彼女にイライラしたのも、すべては「懸命に生きている証」に他なりません。

あの坂道のシーンが教えてくれたのは、「過去の利害を忘れ、今の自分を許すことができた時、人は初めて本当の意味で誰かと向き合える」ということです。

打算もプライドも抱えたまま、それでも誰かを「理解」しようとした自分を、今日は褒めてあげませんか? そのもどかしさこそが、あなたが誰かを深く愛せる人間であることの、何よりの証明なのですから。


【参考文献リスト】

  • 『愛の理解』が問いかける愛の階級, Cine21
  • 『愛と利と』最終回考察:なぜドラマ版は“坂道”を選んだのか, Real Sound
  • 原作者イ・ヒョクジン インタビュー:ドラマ版の再解釈について, KOARI
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