『るなしい』最終回ネタバレ考察|最終巻の結末は救いか罰か?ラストの意味を徹底解説
いやー、漫画『るなしい』の最終回、読みました? 正直、最初は僕も「えっ、ここで終わり!?」って呆然としましたよ。ケンショーくん、あまりにも救いがないじゃないですか。読み終わった後、天井を見上げながら「このモヤモヤをどうすればいいんだ…」と頭を抱えたのは、きっと僕だけじゃないはずです。
でもね、落ち着いて二度読み返して気づいたんです。これ、一見バッドエンドに見えますが、実は主人公・郷田るなにとっては最高のハッピーエンドであり、必然の「救い」なんじゃないかって。
この記事では、あらすじをただ追うだけではなく、作者・意志強ナツ子先生が描きたかった「自立と依存」というテーマから、あの衝撃的なラストシーンの本当の意味を解き明かします。 読み終える頃には、あなたの胸に残るモヤモヤが、「なるほど、そういうことだったのか!」という深い納得感に変わっているはずです。
最終回で何が起きた? ケンショーとるなの結末を整理
まずは、怒涛の展開で混乱しがちな最終回の事実関係を整理しましょう。感情を一旦脇に置いて、「誰がどうなったのか」を客観的に振り返ります。
物語の終盤、主人公・郷田るなと、彼女の幼馴染でありビジネスパートナーでもあった成瀬健章(ケンショー)の運命は、決定的に分かれました。
ケンショーは、自身が主導していた投資詐欺グループの摘発により逮捕されます。彼は最後まで「俺は悪くない、社会が悪いんだ」と叫び続け、自身の罪と向き合うことはありませんでした。一方、るなは警察の事情聴取を受けますが、彼女自身は詐欺の核心には関与していなかったため、罪に問われることはありませんでした。
その後、物語は数年後へと飛びます。るなは地味ながらも堅実な仕事に就き、新しいパートナーと共に穏やかな生活を送っています。そして、刑務所に収監されているケンショーとの面会シーンが描かれます。ここで二人は言葉を交わしますが、かつてのような「共犯関係」はそこにはありませんでした。
ラストシーンで描かれたのは、特別な力を持った「神の子」ではなく、一人の人間として大地を踏みしめるるなの姿でした。

【考察】なぜケンショーは救われなかったのか? 面会室が示した「境界線」
ここからが本題です。なぜケンショーはあそこまで徹底的に「罰」を受け、るなは「救い」を得たのでしょうか? その答えは、最終回の面会室のシーンに集約されています。
自立を選んだるな vs 依存に溺れたケンショー
この物語の構造を読み解く鍵は、郷田るなと成瀬健章(ケンショー)の対比関係にあります。
ケンショーはずっと「誰かに認められたい」「何者かになりたい」という強烈な承認欲求に突き動かされていました。彼が手を染めた投資詐欺も、元を辿れば「るなにふさわしい男になりたい」という歪んだ動機から始まっています。つまり、ケンショーの行動原理は常に「他者への依存」でした。彼は最後まで、自分自身の足で立つことができず、虚構の力(詐欺やカルト的なカリスマ性)にすがりついて破滅しました。
一方、るなはどうでしょうか。彼女は物語を通じて、周囲から「神の子」として崇められ、利用され続けてきました。しかし、最終回で彼女が選んだのは、その特別性を捨てて「ただの人間」になることでした。面会室でケンショーと対峙した時、二人の間にはアクリル板という物理的な壁がありましたが、これは「心理的な決別」と「健全な境界線」を象徴しています。
るなはケンショーを見捨てたのではありません。「あなたの人生の責任は、あなたしか取れない」という、大人として当たり前の、しかし残酷な事実を受け入れたのです。これこそが、るなが手に入れた「自立」という名の救いです。
【結論】: ケンショーへの同情はいったん捨てて、「るなの視点」だけでラストシーンを読み返してみてください。
なぜなら、この点は多くの人が見落としがちで、ケンショーの悲惨さに気を取られると作品の本質を見誤るからです。僕も最初はケンショーが可哀想だと思いましたが、るなが手放したのは「他人に人生を委ねる楽な生き方」でした。この痛みを伴う決断こそが、この作品の希望なのです。
意志強ナツ子が描きたかった「宗教」と「人間」の正体
『るなしい』を読んでいて、「気持ち悪いけど、目が離せない」と感じたことはありませんか? 実は、その感覚こそが作者の狙いです。
「気持ち悪さ」は意図的な演出
作者の意志強ナツ子氏は、インタビューなどで、自身の作品における「気持ち悪さ」について言及しています。
意志強ナツ子氏が描こうとしているのは、宗教やマルチ商法を単なる「悪」として断罪することではありません。むしろ、「そういったものにすがらざるを得ない人間の弱さと、そこにある切実なドラマ」を描こうとしています。
「気持ち悪い」と言われることは多いですが、それは私が人間を描くときの距離感の問題だと思っています。(中略)そこにいる人間の切実な生存戦略を描こうとすると、どうしても滑稽で、ある種グロテスクなものになってしまう。
出典: 意志強ナツ子が『るなしい』『アマゾネス・キス』を描いた理由 – FANY Magazine
作中に登場する「火神の子」という宗教団体や、後半の投資詐欺グループは、構造的に非常によく似ています。どちらも、社会の中で居場所をなくした人々の「心の隙間」に入り込みます。宗教ビジネスと投資詐欺は、人の弱みにつけ込むという点で類似しており、作者はこの二つを鏡合わせのように配置することで、人間の根源的な寂しさを浮き彫りにしました。
私たちがこの作品を読んでザワザワするのは、そこに描かれている「弱さ」が、決して他人事ではないと本能的に感じ取っているからかもしれません。
『るなしい』読者が気になっている疑問(FAQ)
最後に、読了後の皆さんが抱きがちな疑問について、Q&A形式でお答えします。
Q1. この話は実話ですか?
A. 完全なフィクションですが、現実に即した取材に基づいていると考えられます。
特定の宗教団体や事件をモデルにしているという公式発表はありません。しかし、カルト宗教の二世問題や、マルチ商法の勧誘手口などの描写があまりにリアルであるため、「実話ではないか」という噂が絶えません。これは作者の観察眼と取材力の高さによるものでしょう。
Q2. タイトルの『るなしい』ってどういう意味?
A. 「るな」+「虚しい(むなしい)」の造語という説が有力です。
主人公の名前「るな」と、彼女が抱える空虚感や、虚構の上に成り立つビジネスの「虚しさ」を掛け合わせたタイトルだと推測されます。また、「Lunacy(狂気)」という英単語とのダブルミーニングではないかという考察もあり、作品の多面性を表しています。
Q3. 最終巻だけ読んでも話はわかりますか?
A. 正直、おすすめしません。
あらすじだけなら理解できるかもしれませんが、『るなしい』の真骨頂は、登場人物たちの心理描写の積み重ねにあります。特に、るなとケンショーの関係性がどのように歪んでいったかを知らないと、最終回の感動(と衝撃)は半減してしまいます。ぜひ1巻から通して読んでみてください。
まとめ:『るなしい』は痛みを伴う「再生」の物語
『るなしい』の最終回は、決してバッドエンドではありません。それは、依存から抜け出し、自分の足で歩き出すまでの痛みを伴う成長記録でした。
- ケンショーの逮捕: 虚構にすがった者の必然の破滅。
- るなの決別: 共依存からの脱却と、自立への第一歩。
- ラストシーン: 「神の子」ではなく「人間」として生きる覚悟。
読み終わってモヤモヤするのは、それだけあなたが深く作品に入り込み、るなやケンショーの痛みを自分のことのように感じた証拠です。この結末を噛み締めて、ぜひもう一度、第1巻から読み返してみてください。きっと、最初とは全く違う景色が見えてくるはずです。
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👤 著者プロフィール
漫画あらすじ解説ライター漫画が大好きなものの、仕事が忙しくなり「途中離脱」してしまう悔しさを何度も経験。同じ悩みを持つ人のために、話題作の結末や複雑なストーリーを、専門用語を使わず短時間で読めるように要約して発信しています。「飲み屋で友人に話すような分かりやすさ」がモットー。自身も『るなしい』の結末には当初衝撃を受けましたが、読み込むほどにその深さに魅了されています。


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